1995年(平成7年)1月17日午前5時46分
明石海峡を震源地とするマグニチュード7.3の直下型地震発生。
横浜市から宝塚市に引越してきて半年後の出来事でした。
引っ越してきたとき最初に訪れたのが宝塚市役所です。
地震発生当時、私は5歳の息子のお弁当作りで揚げものをしていました。
主人はコーヒーを飲みながら新聞を広げていました。
突然、グラグラと揺れました。
「関西で地震とは珍しい」と思いながら急いでガスコンロの火を消しました。
リビングのシャンデリアがいつまでも揺れていました。
次の瞬間、ドーンと下から突き上げられ一瞬にして暗闇。
と同時に私は立っておれず無意識に四つん這いになっていました。
物が飛び交ってぶつかる音や食器の割れる音がけたたましく鳴り響き、一体何が起こっているのか分かりませんでした。
和室で寝ている息子が心配で名前を呼び続けても応答がなく、何とか立ち上がろうとしたら思いっきり頭を強打、テーブルの下に潜っていたようです。
お陰で物が落ちてこなくて済んだのですが、ガステーブルが飛んできて左腕に揚げもの油を浴びました。その時は痛さも熱さも感じませんでした。
いつの間にか主人が懐中電灯を持ってきて室内を照らしてくれました。
家の中は足の踏み場もないほど荒れ果てていました。
シャンデリアと食器は粉々に飛び散り、購入したばかりのテレビが落ちていました。
部屋中の家具は倒れ、温水器のパイプは破損し廊下から玄関まで水浸しです。
和室の襖を開けると息子が寝ている布団の上に洋服ダンスが倒れていて、それを見た瞬間血の気が引きました。
微かに「重いよう!」と息子の声、「良かった〜生きてる!」
安堵するとともに怪我の状態が心配でなりませんでした。
主人が火事場の馬鹿力でタンスを持ち上げ私が息子を引きずり出しました。
「どこか痛い?」と聞くと「どこも痛くないよ!」とぴょんぴょん跳ねてくれました。
タンス内のハンガーに掛かった服の重みで扉が開いたために助かったのです。
更に、寝相が悪いお陰で90度回転して寝ていたために扉の下敷きにもならず幅30cmの扉の内側に上手いこと納まっていたのでした。
色々な偶然が重なり無傷で命拾いしたのは正に奇跡です!!
私の火傷も皮膚が縮れた程度で済みました。
電気は一時間程で復旧しましたが他のライフラインは寸断されたままです。
最寄駅も脱線により不通、余震が続く中4km先の駅まで歩き電車に乗って大阪のホテルへと避難しました。
大阪は何事もなかったように動いていて‥そこはまるで別世界でした。
18年前からずうっと見てきた六甲山、そして5年前から娘(ワンコ)と武庫川にも癒されています。
二度と味わいたくない『18年前の今日の出来事』でした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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